梵鐘縁起

梵鐘縁起

当寺は、家康公の祖父清康公並びに伯父與十郎信孝公に、ご懇意を賜りたるを以て、度々来寺あり。此の御縁深き間柄なるを以て、御城下騒動の砌、則ち天文十一年(1542)尾張勢と対峙の時、当寺に本陣を構えられ、今川勢と合し、小豆坂で織田勢を打ち大勝利を得たまえり。此の時、遠州日吉山神宮寺より持参の鐘を軍用に使用せられたり。また、永禄六年(1563)三河一向一揆の砌、家康公も又当寺に本陣を定めらるる。時に、当寺檀末の僧俗協力して、その本陣を守護せり。翌七年二月一揆平定し、その二十八日当寺に於いて御放免の事仰せ出さる。その時、祖父清康公、父広忠公御菩提の為、位牌と共にその鐘を寄付せらる。洪鍾銘下記の如し。

大日本國遠江州豊田郡野那郷
日吉山王神宮寺之洪鍾本願檀那信女普明謹奉鑄
文明二年庚寅十一月吉日(1470)

 敬  白

その後星霜相遷り、此の洪鍾は、先の大戦で供出され、昭和五十三年当山二十九世隆空訓盛により再興され、現在に到る。